二度目のひとりぼっち〜コロナ禍の韓国での隔離生活と、幼少期のある記憶

コロナ禍のさなか、撮影の仕事で韓国へ。2週間のホテル隔離生活でひとりぼっちになった僕は、半世紀以上前の、ある記憶を思い出すことになりました。
LAに40余年住んでいて、こんなに閑散とした空港を見たのは初めてです。搭乗した機内はほぼ貸し切り状態で、7名ほどしか搭乗していませんでした。
アメリカ出国前にPCR検査を受け、2時間で「陰性」の証明が出たので問題なく出国。で、某国に到着するや否や、またPCRを受けさせられて、様々な書類に必要事項を記入、サインをして無事入国。(PCRは陰性でした)
まあ世界で一番の新型コロナ感染者数と死者数のアメリカから飛んできた旅客が、特別に警戒されてしまうのは致し方ないと思った次第です。
で、同じ便で入国した外国人が某国政府指定のホテルに隔離されてから、かれこれ6日間が過ぎました。ホテルの部屋は広くてとても快適です。Wifi環境も整い、空調もしっかりしているのですが、逃亡防止(?)のためか、ホテルの窓が開かないので外の空気が吸えません。
それと食事のチョイスは許されず、1日三食ドアーの外に置かれているお弁当のみ。喫煙、アルコール(飲酒)も硬く禁じられています。
ロスを出る前に、2週間、ホテルの部屋から出られない隔離生活を、それなりに想像はしていたのですが、四六時中ずぅ〜っと「ひとりぼっち」ってのは、けっこうキツくて、ちょこっと精神的に煮詰まりはじめています・・。
小学三年、ひとりで暮らした一年のこと
こうしてずっと独りホテルの部屋にいたら、ふと幼少期にひとりぼっちで約1年生活していた時の事を思い出しました。
小学校3年の時に、父が病気になり長期入院、母は看護で病院に寝泊りしていて、一人っ子の僕は家で独り寝起きをし、学校に通っていました。
食事や洗濯は隣りのおばさんが朝晩運んでくれて、昼は学校の給食。週に一度、父が入院していた飯田橋の病院に洗濯物を届けて、帰りに汚れた洗濯物を隣りのおばさんに持ち帰る日だけが、両親に会える時でした。
今の世であれば完全なネグレクトなのでしょうが、なにしろ昭和30年代のお話・・。僕自身も親も、そして世間様もなんとも思わない時代でした。
僕を不憫に思った父は、毎回洗濯物を届ける度に当時の小学生には破格の小遣いをくれ、病院の食堂でなんでも好きな物を食わせてくれました。
R60にしてあの頃の匂いや思いが蘇るとは・・、いやはや神様は不思議なお方でございます。
てなわけで、このおっさん期のひとりぼっち生活は、これまでの自分の人生を振り返る良い機会であると思い、SNSやYouTubeもほどほどに、静まって、イエス様の前に感謝と賛美の祈りを捧げる日々にした次第。
感動と体験のコロナ禍の旅の隔離生活は残りあと8日・・。ホテル隔離生活が終わり、クライアント指定のホテルの移動したら3日間仕事をして、来月始めにロスに戻ります。