十字架を、抱きしめて生きる
CHRISTIANITY ・ 信仰の記録
十字架を、
抱きしめて生きる
― ジム・カヴィーゼルと、ハリウッドで信仰を生きること
Yoshio Maki
映画好きの方はもうご存知かもしれません
メル・ギブソン監督の『パッション・オブ・ザ・クライスト』――2004年に世界6億ドルを超える興行収入を記録した、あの信仰映画の続編が、イタリアでの134日間にわたる撮影を終え、2026年5月にクランクアップを迎えたとのニュース。
残念ながら、前作でイエス・キリスト役を演じたジム・カヴィーゼルさん(Jim Caviezel)は今作には参加していません。
若返りさせるデジタル処理(CGI)のコスト問題を理由に降板、フィンランド人俳優ヤーコ・オートネンが新たにイエス様役を演じるようです。【参考:The Christian Post(2026年5月5日)/Variety(2026年5月22日)】
個人的に彼の出演降板は本当に残念でなりませんが、ジム・カヴィーゼルというアメリカの名優が前作を通じて世界に残した名演は、今でも僕の魂に語りかけています。
ハリウッドで、キリスト者として生きるということ
僕もSAG-AFTRA、つまりアメリカの俳優組合に登録している、いわゆる大部屋俳優です。
映画やテレビやCMの仕事ですが、セリフは数行か、あっても台本の数ページです。それでも音楽制作のかたわら、ハリウッドの映像制作の現場にも、15年ほど関わってきました。
カヴィーゼルさんはアメリカのエンタメ業界で、敬虔なカトリック教徒として公言され、生きてきました。
その立場から言うと、クリスチャン俳優であるカヴィーゼルさんの生きざまは、同じキリスト者の同業者として、僕には特別な響きを持っています。
一般的にハリウッドのエンタメ業界は、政治的にも文化的にも、かなりリベラルな空気が支配している場所として知られています。
撮影現場の待機時間に、誰かと雑談していて、宗教の話題になった途端、空気が微妙に変わることがあります。
カリフォルニアには多様性や個人の自由を大切にする人が多い。それはとても大切なことです。
ただ、その空気の中で「自分はキリスト教信仰を持っている」ということは、なんとなく言いにくい時代もありました。
振り返ると、ポリコレやキャンセルカルチャーが全盛だった頃は、相手によっては「メリークリスマス!」と言うことさえ憚っていた自分を思い出します。
十字架を、抱きしめて生きる
つい最近、SNS上で拝読した上のカヴィーゼルさんの言葉。ハリウッドでキリスト者として生きてきた名優のこの言葉を読んだ瞬間、僕の霊的な思いがぎゅっとなりました。
「十字架を負う」という言葉は、聖書の中にある上のイエス様ご自身が語られたみ言葉です。
カヴィーゼルさんは「負う」ではなく「抱きしめる」と表現しました。
「抱きしめる」というのは、愛する人を力強く、胸いっぱいに引き寄せます。
自身の十字架を背負い、それを「愛しい主イエス様」として、十字架を胸に抱きしめる・・。
「異教の世界」とは、何も遠い国の話ではない
信仰を持って生きることが「少数派」に見えるこの日常。宗教というものが「個人の趣味」のように扱われる風潮。
「信じていること」を口にするのが、なんとなく気恥ずかしい、あの感じ・・それが、日々の営みの中で感じる「異教の世界」ではないでしょうか。
カヴィーゼルさんは、その世界の中で、堂々と告白し続けました。
『パッション・オブ・ザ・クライスト』の続編への出演は叶いませんでしたが、前作でイエス様を演じて以来22年間、カヴィーゼルさんが銀幕上で演じ続けた信仰の姿勢と十字架の思いそのものが、彼の揺るぎない証なのだと思いました。
今日の黙想
自分の十字架は、人それぞれ違います。重さも、形も。けれど、それを恥じて隠すのではなく、主イエス様のものとして胸に抱きしめる――。その小さな一歩を、僕も今日から、もう少し自然に踏み出していきたいと思っています。
※この記事は僕の個人的な信仰の記録です。特定の教派・信条への勧誘を意図したものではありません。映画・人物に関する情報は記事公開時点のものです。
