母の死、息子のおばあちゃんへの手紙

03/23/2019アメリカ, クリスチャニティ

母の遺骨と十字架とバラ

7月1日、母が召天しました。危篤の知らせを受けたのはロサンゼルス時間の6月30日。日本のER(emergency room)の担当医に電話で容態を説明して頂いたら、「もってあと2〜3日・・、すぐにこちらに来て下さい」との事。

翌日のSQ便でLAXを飛び立ったのですが、母は僕が太平洋上を飛行中に天に召されました。享年87才。緊急入院から2日後の大往生。その顔は安らかで奇麗でした。

母は亡くなる3日前までいつもと変わりない生活を営み、ランチの天丼をペロリとたいらげて、デザートにアイスクリームを食っていたそうです。

「あたしゃ、老後は日本に住む。介護の心配はいらないよ。お前に迷惑かけないでポックリ死んでやるから・・・」の捨て台詞を残して、アメリカから故郷の葛飾カメアリに引き揚げたわけですが、見事にそれを成就してしまったわけで・・・。

そんな事を思い出しながら、その夜は母といつも行っていた近所のラーメン屋のカウンターで、オフクロ様の常食「昔ながらの支那そば+半チャーハン・セット」を注文。

それを食っていたら涙腺決壊。涙が止めどなく流れて来て、いやはや、とっても塩っぱい支那そばになってしまいました。

日本ではオフシャルな葬儀はせず、7月3日に荼毘に付しました。

地元のじいちゃん、ばあちゃんたちから、お見事〜!天晴れ〜!あやかりたい!との賞賛の嵐・・・。息子のロスのおっさんは非常に複雑な心境でございます。

お棺の中にはたくさんの花束とともに、聖書とうちの子(孫)が、ばあちゃんに書いた手紙を入れました。

息子からおばあちゃんへの手紙

おばあちゃん、テモテだよ。

今はアメリカで離れてるけど、おばあちゃんはいつも僕の心の中近くにいます。この手紙を読んでる時に意識がはっきりしていないかも知れないけど、おばあちゃんの魂に届くと信じています。

入院した事を聞いた水曜日の朝は、おばあちゃんはきっと大丈夫だと自分で決めていました。 僕もそうだけど、おばあちゃんは心配性で病気を気にして、学校に行く前に味噌汁を飲みなさい、ワカメやブロッコリーは病気予防だって、(理由を説明できないのに)いつも言ってたよ ね。

医者にも自分から行ってたし、おばあちゃんの身体は、毎週整備に行ってよく油をさしてあるクラッシックカーのようなのだろうと、僕は思っていました。

おばあちゃんは健康に恵まれているとお母さんも言ってた、僕のお父さんもお母さんもそうじゃないのに、おばあちゃんは長いこと自分の歯があったよね。メタボリズムも良くて太ったりもせず、タバコを吸っても肺 を悪くしなかった。

僕が何を言いたいかというと、僕はおばあちゃんはいつまでも長生きすると思ってたということです。おばあちゃんは不滅、他の人と違う、あの小さいアパートの部屋で健康を気にしながら、近所の人を噂話をして、僕がお正月とに送ったカニ缶を喜んで食べて、電話で僕に「おっかない世の中になった」と言いながら後百年でも生きると、確信があったのです。でももちろん人はいつまでも生きられる訳ではないし、それは誰でも同じです。

それでも、僕は生きているし、まだ何年もこれから生きられると望んでいます。そして、おばあちゃんの思い出はいつも僕の中にあります。

僕が小さい頃に注いでくれた愛情や教えてくれた事がらは、どこか複雑で不完全なように見えても、それはおばあちゃんのできる最善をしてくれたのであって、おばあちゃんの孫として生まれたという「ギフト」が、今の僕の性格や人間性を形取っているのだと、だんだんと理解し始めています。

おばあちゃんの過去の人生、乗り越えてきた苦労など、僕の生まれる前の話をもっと聞けなかったのは残念だけど、それをお父さんから教えてもらうのを楽しみします。おばあちゃんの経験が僕の将来書く物をインスパイアしてくれるでしょう。

人生を僕に分かち合ってくれた事、僕がおばあちゃんの人生の一部になれた事、心のそこからありがとう。スクールバスの停留所でいつも待っていてくれて家までの短い道を一緒に歩いてくれてありがとう。どの子供も誰かが家で待っていてくれたり、安全なように見ていてくれる人がいるわけではありません。

僕が怖がっている時、ハジ(黒ラブ)を最期の眠りにつかせなければならなかったあの時のように、おばあちゃんの部屋で寝かせてくれてありがとう。

どの子供も必要な時に隠れられる場所があるわけではありません。おばあちゃんが、あの末期だった女性の苦しみの時に介護をしていた時、与える精神を教えてくれてありがとう。

オーマとひさ子さんの有名な「ゴールデンガールス」のラスベガス旅行を通して、年を取っても友情を築き、育めることを教えてくれてありがとう。

おばあちゃんは忘れているかも知れないけれど、僕がはっきりと覚えている思い出があります。 僕は14か15歳で、レストランからの帰り僕と二人で車の後ろの席に座っていて、おばあちゃんは多分自分が思っている以上に酔っ払っていて、夜空を見てバックシートで笑ってた。

後ろの席の窓ガラスの中に月が見えて、おばあちゃんはそれを見て、「見てごらん!月が後をついてくるよ!ほら!まだついてくるよ!」と言ってクスクス笑っていました。

そんなに子供みたいにふざけて、喜んで、解放されたおばあちゃんを見るのは初めてでした。これが僕のおばあちゃんの思い出です。これが僕の描く、おばあちゃんが自由になって天国に昇って行く時のイメージです。

その時はバスの停留所に、おばあちゃんを迎えに来た天使が待っていてくれることを僕は願っています。

変わらない永遠の愛を込めて、

テモテ (Timothy Maki)

平安

故郷カメアリにて・・


母の遺骨とともに故郷葛飾カメアリからアメリカへ

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本日、母の遺骨とともに故郷葛飾カメアリからアメリカへ無事戻りました。(上の画像は亀有南口「ゆうろーど」商店街)

母が住んでいたアパートの片付け、お役所の諸手続き、年金、光熱費の打ち切り、etc..に追われた怒涛の12日間でしたが、日本在住の皆様のご協力、ご親切により、90%終える事が出来ました。皆様、本当にありがとうございました。

来月お日柄のよろしい日に、父の待つオックスナード(Oxnard)のわが家のお墓で埋葬式をするようになりました。(この霊園にはいつも心地よいチャンネル・アイランド(Channel Islands)からの海風が吹いています)

取り急ぎ、帰米のご報告でした。

平安


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母の埋葬式〜オックスナードは曇りのち晴れ・・

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召天から早2ヶ月・・・、本日は母の埋葬式でした。うちのお墓があるオックスナード(Oxnard)は曇りのち晴れ。セメタリー(cemetery)には心地良い海風が吹いていました。

 

敬愛するリトル東京センテナリー合同メソジスト教会の久山靖彦牧師の司式により、オフクロ様の愛唱賛美歌「いつくしみふかき」、「おどろくばかりの(Amazing grace)」を歌いながら・・・、心の中で様々な思い出が静かに流れていました。

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親を見送ることが子どもの務め・・なんて事を申しますが、見送った直後の寂しさを覚えつつ、帰宅後はモグと散歩。ロス北西部の夕間暮れはいつもより力のない西日が眩しく滲んでいました。

夕間暮れ


亡き母の誕生日〜オックスナードに墓参り

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本日は7月に急逝した母の米寿の誕生日。わが家のお墓があるオックスナードは曇り・・。

あいにく、この日はセメタリー(cemetery)が配管工事のため断水。墓石を綺麗に洗うことが叶ず、新たに没年「2016」を記したところだけがヤケに浮いて見えました。故郷亀有に母のいない来月の訪日は今から一抹の寂しさを覚えます。

折しもこの日(亡き母の誕生日)は、僕が高校生からやってるおっさんバンド、GINTE2(銀河鉄道)の新譜アルバムのハイレゾ配信リリースがスタート! 色んな意味で記念日となりました。

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MY LIFE /GINTE2
http://midiinc.com/cgi/contents/magazine.php?id=1015 ミディレコードクラブ

Yoshio

03/23/2019アメリカ, クリスチャニティ

Posted by Yoshio J. Maki