愛聴盤 | シンガーソングライター 1970 – 1980年代
これまでに当ブログで掲載した、高校生の頃から大好きなシンガーソングライター(1970 – 1980年代)の愛聴盤と、想い出をまとめてみました。
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グラム・パーソンズ Gram Parsons | Grievous Angel
このアルバムはその日の精神状態に関わらず、自然に(時として無理矢理)「やるせない思い」にさせられてしまいます。ちなみに愛聴歌は"Love Hurts"。
グラム・パーソンズ (Gram Parsons) は1973年9月19日にジョシュア・ツリーの砂漠で(Joshua Tree)で亡くなりました。
グラム・パーソンズが愛したジョシュア・ツリーには、スーチル撮影やPVのロケで何度か行った事があります。360度、見渡す限り無数にそびえ立つジョシュア・ツリーの風景はとても幻想的です。1970年代のアーティストたちがこの土地を好んだ理由が少しだけわかるような気がいたします。
リンダ・ロンシュタット Linda Ronstadt | What’s New
アルバム"What’s New"の編曲者はネルソン・リドル(Nelson Riddle)。Grove School of Musicの作編曲科に在学中、特別講師として招かれたネルソン・リドル先生の授業を受けたことがあります。ネルソン・リドル先生の訃報を知ったのは、その授業の2ヶ月後の事で、とてもショックでした。
授業の教材として生徒に配布されたフランク・シナトラなど、ネルソン・リドル先生が手がけた数々のオリジナルスコア(自筆の編曲楽譜)コピー、そしてネルソン先生から学んだ指揮法(コンダクティング)は、今でも僕の大切な宝物です。
ジャクソン・ブラウン Jackson Browne | Late for the Sky
僕がジャクソン・ブラウンの実弟、セヴェリン・ブラウンのアルバム"From The Edge Of The World" をプロデュースした時に、ジャクソン・ブラウン氏が Background Vocal で参加してくれました。
ブラウン兄弟のデュエットはこれが初めての事だったと思います。スタジオのブラウン氏は、社会派シンガーソングライターの異名を持つ、アグレッシブなイメージにはほど遠いとても穏やかな人でした。
中学生の頃から憧れていた、ジャクソン・ブラウン氏に駆け出しのアンノウン日系プロデューサーが「じゃ、ここんとこもう一度、お願いします・・」 と、ディレクションを出す・・。 NEVEのミキシングコンソールのトークバックボタンを押すたびに、自分の指が震えていた事を思い出します。
ジャクソン・ブラウン Jackson Browne | For Everyman
僕の1nd・アルバム “Over The Streams" のジャケ写は、"For Everyman" の上のイラストと同じ場所で撮影しました。ここはジャクソン・ブラウン氏の御祖父さんのパサデナにある屋敷で、現在は弟のセベリン・ブラウンが住んでいます。
パサデナ市からランドマーク (landmark) 指定されているこの建物は独特なスピリットを感じます。個人の家なのに敷地内にチャペルや、地下にはジェイル(牢屋)なんかもあったりして...。てなことを思い出しながら"These Days"(5曲目)を聴いてました。ジム・ケルトナー(Jim Keltner)の、70年代のグルーヴに酔いしれます。
ブルース・コバーン Bruce Cockburn – Salt, Sun and Time
初めてこのアルバムを聴いた高校生の時に当時やっていた高校生フォーク・ロックバンド「銀河鉄道」の合宿を、某音楽事務所の社長さんが所有する長野県の山奥の別荘でしたことがありました。雪が降りしきる山奥で、銀河鉄道のメンバーと聴いていたのがこのアルバムでした。あれから45年・・、カリフォルニアの自然の中で拝聴していると、あの頃と同じ感動が蘇ってきます。
ブルース・コバーン(Bruce Cockburn)の歌ごえが、風に揺れる木の葉や、野の鳥たちのBGMに共鳴し、時空を超えて大自然の中に融け込んでしまいます。
1曲目の"All the Diamonds In the World"が、とても福音的な内容の歌詞であったとは、自分がキリスト教の信仰を持つまで知る由もありませんでした。山麓での早朝ディボーションは自分を2000年前のかの地に誘います。
ランディ・ニューマン Randy Newman | Good Old Boys
2005年8月末にアメリカ合衆国南東部を襲った大型のハリケーン、ハリケーン・カトリーナ。このハリケーンの強さを表すシンプソン・スケールはルイジアナ州上陸時でカテゴリー3でした。
カトリーナ被災によって亡くなられた方への鎮魂の1枚として、1924年4月15日のニューオリンズの洪水を歌った名曲 “Louisiana 1927″をさめざめと拝聴・・・。我が恩師、ヴァンダイク・パークスの盟友、ランディ・ニューマンの名盤です。
PS. 余談です。僕はランディ・ニューマン氏と同じ誕生日。数年前にラシェネガにある日本レストラン"Matsuhisa"のトイレでニューマン氏と遭遇。「あなたと誕生日が一緒です。」と言ったら、免許証を見せてみろと言われ、ニューマン氏と免許証を見せっこしたことがあります。
ランディ・ニューマン Randy Newman | Sail Away
アメリカ合衆国に住みついて40余年目の春になりました。高校生の時から愛聴してるこのアルバムの中に収まっている一言一句が、歳を重ねる毎に良い意味で心の奥底に重くのしかかってくるよな気がいたします。
関西弁の’Sail Away’名邦訳サイトを発見しました。あたかも関西人になったランディ・ニューマン師匠が関東人の僕に、柔和な関西弁で諭してくれているかのようです。
船出
アメリカやったら食うに困らん
ジャングルかけずりまわらんでええし
足もすりむかへんし
いちんちアーメンソーメン歌うて酒のんでたらええねん
アメリカ人になってみ、ほんまええで
ライオンもトラもおれへん、ごっついヘビ?おれへんおれへん
メロンもケーキもむちゃあまい、ソバ粉のケーキ、アメリカのソバや
みなもうええっちゅうくらいしあわせなんや
はよ乗りや、そこの黒いの、いっしょに行こ
船出や船出や
荒波こえてチャールストンいくねん
船出や船出や
荒波こえてチャールストンいくねん
アメリカてな、誰でも自由やねん
家と家族だけ心配しとったらええねん
サルが木にぶらさがっとるみたいに楽ちんやねん
みんなアメリカ人になんねんで
船出や船出や
荒波こえてチャールストンいくねん
船出や船出や
荒波こえてチャールストンいくねんSail Away by Randy Newman 試訳 by EV 2000.03.30
http://homepage3.nifty.com/elevator/sailaway.html
上の名訳の中でも脱帽したのが、カミサマのうた (かわいいやっちゃな人間は)でした。本家(英語)のGod’s Song (That’s Why I Love Mankind) と比較して見るのも楽しいかも知れません。しかしこの名訳者、EVさん、ただ者ではなさそうです。(敬服)
ピーター・ゴールウェイ Peter Gallway | Peter Gallway
Peter Gallway “ピーター・ゴールウェイ"
17歳の時、吉祥寺の輸入盤専門店でこのアルバムを手にした時のウレシかったこと。ビニル盤がシャリショリとすり切れるまで大切に聴いていました。この名盤がアメリカでは日本からの輸入盤(日本盤)でしか購入出来ないと知って嘆いて、復刻盤CDがリリースされた1998年に訪日した時に3枚もまとめ買いだめしました。
あれから40余年経った今でも、2曲目の“Decidedly Fun"のアコースティックギターソロのチョーキングのあたりでいつも顔面にシワがよってしまいます。
想い出と思いは尽きないアルバムです。
ジョン・セバスチャン John Sebastian | Tarzana Kid
John Sebastian | Tarzana Kid
我が家の住む街のとなり街が “Tarzana"。あの「密林の王者ターザン物語」の作者が住んでたから「ターザナ “Tarzana" 」って地名になったらしいのです。ですので、Tarzana郵便局にはターザンゆかりのものが展示され、時おり幼稚園児たちが社会見学に来ています。
んなこたどうでもよいのですが、このアルバム聴きながら、"Tarzana Kid" っていう楽曲もないのになんで “Tarzana Kid" なの?と疑問が生じました。ティモシー・シュミット(イーグルス)もTarzanaのとなりの街に住んでいると友人が言っていましたが、ひょっとして John Sebastian もご近所さんなのでしょうか。
ケニー・ランキン Kenny Rankin | Silver Morning
高校生の頃(1974年)、エグP、大ちゃんの下北沢のアパートで聴いて一耳惚れ。その数ヶ月後、吉祥寺の芽瑠璃堂でこの輸入盤を手に入れたときのあの感動はいまでも忘れません。渡米して間もない頃、サンセットのロキシー(The Roxy Theatre)でケニー・ランキンの生声を拝聴したときは、まじで’ちびり’ました。
日本の某レコード会社で洋楽のディレクターをしていた頃、何度か制作のオファーを出させて頂いたのですが、丁重にお断りされました。久しぶりに聴いたこの30余年の愛聴盤、本日は哀調の1枚となりました。
マック・マクナリー Mac McAnally | Minimum Love
1983年にLAのFMラヂオで初めて聴いた楽曲"Minimum Love"。「おっ、ジェームス・テイラーの最新シングルでたー!」とレコード店に駆け込んだら、歌っていたのはマック・マクナリー(Mac McAnally)というお初にお目にかかったシンガーソングライターでした。
上のYouTubeを聴いて頂けれな百聞は一聴なのですが、声質、和声、編曲、歌い回し、本当にジェームス・テイラーによく似ています。そうかと言ってパクリと言うのでもなくて・・、
いつのまにかこの人にハマってしまい、ヘビロテで聴くようになった頃、なんとこの曲はビルボードのチャート50位入り。それなりのヒットソングとなっていました。で、あれから40年の月日が経ち、この人の存在すら忘れていたのですが、こないだアナログ盤のコレクションを物色していたらこのアルバムをディスカヴァー。
レコード針を落としたとたんに涙腺崩壊。とめどなく涙ちょちょぎれで、カタカタと仕事をしていました。R60世代になると、ふと耳にした昔のメロディーがノスタルジーの鍵をこじ開けてしまうようです。
ライ・クーダー Ry Cooder | Jesus On The Mainline
母方は隠れキリシタンの時代からのカトリック教徒で、異母兄弟の兄はプロテスタントの牧師でした。中学1年まで毎週、故郷葛飾区亀有の教会に通っていましたが、その後は放蕩と流浪を重ね、思うところあって23歳の時にここ南カリフォルニアでプロテスタント信仰を持ち、洗礼を授かりました。
エリック・カズ(Eric Justin Kaz)の 'If You’re Lonely’ 、そしてこのライ・クーダー(Ry Cooder)の 'Jesus On The Mainline’ 、高校生の頃に何気なく聴いていた1970年代重鎮アーティストたちの、自分が好きな楽曲ってゴスペル(福音歌)が多いんです。
40年もアメリカ合衆国に住んでると、すんなりと英語の歌詞がこのアホな頭にも浸透してゆきます。久々のライ・クーダー師匠の福音歌を拝聴し、もの凄いパワーを頂戴いたしました。
FAB | The Fifth Avenue Band “In Hollywood"
アメリカに移住した二十歳の時、アパートが見つかるまでの数週間、エグPの大ちゃんとハリウッドのモーテルに滞在していました。The Fifth Avenue Band(FAB)の In Hollywood(10曲目)を聴くとあの頃の情景が鮮明に思い浮かびます。
ここ数年の再開発で、とてもモダンな街に豹変しつつあるハリウッドですが、ライブハウスで若い子ぉたちが奏でるサウンドは、まさにFABの亜流としか思えないほど似通っています。若い世代が、オンライン上でFABをディスカバーする日もそう遠くなさそうな気がいたします。
Jessie’s Jig & Other Favorites | スティーブ・グッドマン Steve Goodman
1984年にスティーブ・グッドマン氏が白血病のためシアトルの病院で亡くなったニュースを聞いたときはとてもショックでした。(享年36歳)
スティーブ・グッドマンを確か初めて聴いたのは銀河鉄道をやっていた高校生の頃でした。銀河鉄道のメンバーで天才ギター少年だった佐藤信彦くんの影響だったと思います。
佐藤くんは上の、’It’s A Sin To Tell A Lie’(6曲目)のギターを完ぺきにコピーしてました。高校生でした...色あせる事のない名盤。久しぶりに’Jessie’s Jig & Other Favorites’を聴いて気分爽快!
ニッティー・グリッティー・ダート・バント | The Nitty Gritty Dirt Band
The Nitty Gritty Dirt Band | Uncle Charlie and His Dog Teddy
そう言えば、渡米前(1970年代後期)に活動していた銀河鉄道が ニッティー・グリッティー・ダート・バント(The Nitty Gritty Dirt Band)の日本公演のオープニングアクト(前座)をやりました。
アンコールで"I saw the light"をニッティのメンバーの皆さんと銀河鉄道が共演したのですが、この曲が Hank Williams が書いたゴスペル(賛美歌)だったとわかったのは、アメリカに移住してから5年後に受洗、プロテスタントの信仰を持った時でした。明日は日曜日。僕はアメリカの教会の礼拝でピアノを弾きます。