健康な時の美しさをなくして病室で寝ている人のそばに行ける人・・

06/26/2020クリスチャニティ

末期癌で闘病中の旧友(日本在住)と電話で話をしました。お互いこの通話が今生の最後の会話になるかも知れない思いがあり、彼は始終、饒舌でした。

旧友の病状悪化を知ったのはちょうど緊急事態が発令された3月で、そのあとすぐにアメリカ人の(アメリカ)国外への移動は禁止となりました。

「コロナで日本行きの飛行機が飛んでないんだ。会いに行けなくてごめん・・」と、言ったら

「バカヤロウ!オレの葬式にも来んな・・」との返答。

そんな彼のかすれ声の虚勢を聞きながら、下のNCM2メンバー、マダムことマツオユリのブログ記事のことを思い出していました。

病気というものは、コンフィデンシャル(公開しないこと)なものだと思いました。クリスチャンの私は常に病気の人に対して、「多くの人に祈ってもらえばいいのに!」と思ってましたが、それよりも、その人が何を欲しているかを配慮してあげる事、それが一番大切なんだ!ってことを教えられたように思います。心身共に苦み、痛みに耐えかねて、健康な時の美しさをなくして病室で寝ている人のそばに行ける人は、そう多くはないように思えてなりません。

マダムは、お母堂様の介護(看病)で太平洋を幾度も往復。しまいには日本へ向かっているのか、アメリカに向かって飛んでいるのが分からなくなった事もあったという彼女の証しを聴いたことがあります。

“病人への配慮"『その人が何を欲しているかを配慮してあげる事・・の大切さと、痛みに耐えかねて、健康な時の美しさをなくして病室で寝ている人のそばに行ける人は、本人(病人)が側にいて欲しい人なのだという事を再認識した次第です。

善意ほど恐ろしいものはない

普段は連絡もして来ないのに、人が病気になるとやたらに張り切る人がいます。クリスチャンにそういう人が多くに見られるような気もいたします。

役に立ちたいという気持ちからであっても、(頼まれもしないのに・・)病室で大きな声でお祈りをしたり、賛美をしたり・・。病人(本人)の意思を完全に無視して、自分がしたい事のみをしてしまう傾向が、そういう人たちの共通点であるような気がいたします。

上の曽野綾子さんの書籍の一節のように、他人との健全なバウンダリーズ(境界線)を持たないクリスチャンの善意ほど迷惑なものは無いのかも知れません。

控える時を知り、自分がではなく、相手がして欲しい事を喜んでする。病気の人への配慮を忘れないようにと肝に銘じ、今はただ、イエス・キリスト様の癒しと奇跡を信じて旧友の回復を祈るばかりです。

PS.僕が主宰するロサンゼルスのゴスペルコーラスグループ、NCM2 CHOIRのオリジナルソング「君のそばに」をYouTubeにアップしました。よろしければご視聴ください。おじぎ。

君のそばに (I’ll Be Here For You) – NCM2 CHOIR

作詞:アキコ・M・ウッド / 作曲:ヨシオ・J・マキ

06/26/2020クリスチャニティ

Posted by Yoshio J. Maki