映画『Echo in the Canyon』〜僕の「ローレル・キャニオン」

アメリカン・ライフ

LAのランドマーク、オルフェウム・シアター(The Orpheum Theatre)で開催された、「エコー・イン・ザ・キャニオン・フェスティバル」。

このドキュメンタリー映画『Echo in the Canyon』は、今どきの中堅若手アーティストたちのライブ映像と1960年〜70年代のアメリカ音楽シーンの超重鎮アーティストたちのインタービューを中心とした作品でした。

リンゴ・スター、ブライアン・ウィルソン、ロジャー・マッギン(ザ・バーズ)、ジャクソン・ブラウン、ミシェル・フィリップス(ママス&パパス)、トム・ペティ、エリック・クラプトン、スティーヴン・スティルス、デヴィッド・クロスビー、グラハム・ナッシュ。

ママス&パパス、ザ・バーズ、バッファロー・スプリングフィールド、ビーチーボーイズ・・。とにかく、高校生だった僕ら銀河鉄道が影響を受けまくった、上の大物アーティストの生声「当時の音楽シーンの逸話や追憶の語り」に涙ちょちょぎれ・・。

ボブ・ディランの息子、ジェイコブ・ディランがこの映画のインタビュー役(エグPも)でしたが、親(ディラン)の七光りを微塵も感じさせない、ジェイコブ・ディランの淡々としたインタビュアーとしての所作と語り口調。そして言うまでもなく銀幕上のパフォーマンスがとても良かったです。

この映画では、上の大物アーティストたちが住んでいたローレル・キャニオン(Laurel Canyon)を1960年〜70年代の西海岸サウンドを作り上げた聖地のように扱っていましたが・・、

当時のメインストリーム・サウンドだけでなく、ジャズやR&B系のミュージシャンらもローレル・キャニオンやノース・ハリウッド周辺にたくさん住んでいたし、それぞれのジャンルのサウンドを作りあげていたように思います。

これだけの若手と重鎮の超大物アーティストによるドキュメンターリーでしたが、昨年5月の封切り以来、未だアート系の映画館で公開され続けているのが納得出来ます。

僕の「ローレル・キャニオン」

わが家からローレル・キャニオンのエリアまでは、クルマで約20分ほどの距離。ベンチュラ通りを境にお屋敷が建ち並ぶ住宅地です。

僕がアメリカに移住する前までメンバーだった、1970年代の高校生フォーク・ロックバンド「銀河鉄道」の鈴木大治郎は、70年代後半から80年代初期にかけてローレル・キャニオンの住人でした。(彼は後にニューヨークに移住、現在はカナダのバンクーバー在住)

当時(80年代)、僕はウエスト・ロサンゼルスに住んでいたのですが、大治郎くんに会いに良くローレル・キャニオンまで足を運んでいました。

あの当時、僕と大治郎が大変お世話になったシンガーソングライター、かの名曲「エブリシング・マスト・チェンジ」の作者、故ベナード・アイグナーさんから、日本にいたら到底会うことが叶わなない、ミュージシャンをたくさん紹介して頂きました。

この映画に出てくるような、当時の著名アーティストたちが集まるローレル・キャニオンの豪邸でのパーティーに幾度となく、僕らも紛れ込んでいたことを思い出します。

ローレル・キャニオンの北側を下るとヴェンチュラ通りがあるスタジオ・シティ(サンフェルナンド・バレー)があります。あの頃は、銀河鉄道「ミルキーウエイ」のプロデューサー、故佐藤博さんもバレーの住人でした。

僕が卒業した"Grove School of Music"も、ローレル・キャニオンの隣り、コールドウォーター・キャニオンにあって、同じ作編曲科には、若き日のジャズ・ピアニスト/作編曲家の島健(ken Shima)、ギタリストの天野清継(Kiyotsugu Amano)、セベリン・ブラウン(ジャクソン・ブラウンの実弟)がいて、それぞれのサウンドと方向性を模索していた時代でもありました。

中学生の頃から僕の人生に影響を与え続けているローレル・キャニオンのサウンドと、33年間住み慣れた地元(サンフェルナンド・バレー)・・。いくつになっても私的な「ローレル・キャニオン」への憶いはつきません。

ドキュメンタリー映画『Echo in the Canyon』、R60〜音楽ファン必見の作品です。