アメリカ日系人1世から学んだ〜カリフォルニアの暮らし方
年収12万ドルでも低所得者とみなされる北カリフォルニアでの暮らし
家賃がそんなに高いなら郊外に引っ越せばいいじゃないか、とも思いますが、魅力的なサンフランシスコに住みたいと若い人たちを中心に都心回帰と職住接近の傾向が強まっています。"「【NHKオンライン】飯田香織の米西海岸リポート「年収1300万円でも低所得」“
北カリフォルニアにでは年収1300万円=約12万ドル稼いでも低所得者とみなされるってのを拝読し魂消た次第。
ソーシャル・セキュリティ・タックス(social security tax: 社会保障税)etc、なんだかんだで30%ぐらい引かれた後、手取りは8万数千ドルってとこでしょうか?
こんだけ稼いでも家族4人暮らしだと低所得者の烙印を押され、政府に住宅補助申請が出来ちゃうとの事・・。
1人暮らし(独身)で他州から北加に移住した若者の住居は、見ず知らずの人と共同生活のシェアハウス(文中では「ハブハウス」)からのスタート・・。
狭くて、プライバシーが限られていても都市や職住接近に住むのがトレンドのようで、収入と生活水準のバランスを顧りみると、他人事ながら「なんだかなぁ〜」って感じでございます。
先人の生き方から学ぶ、カリフォルニア州での暮らし
LAに移住した20代の若造の頃(1970年代後半)、日系アメリカ人1世の先輩諸氏の生き様から沢山の事を学ばせて頂きました。その中でも下の教えはあれから数十年経った今、本当にありがたく思っています。
無理をしてでも若い時に家(土地付き)を買いなさい。
住宅ローンはなるだけ短く、15年の固定金利ローンにしなさい。
そして、その家に長く住みなさい。
学校を卒業し、某米系航空会社に就職した時の手取りは1200ドルほど。夜は日本食店でウェイター、バーテンダーのバイト、空いた時間で映像コーディネーターの仕事、子どものピアノ教師なんかもして、もちろん共働きでダウンペイメント(頭金)を貯め、やっと買ったのが今の家。
僕らの新居のサンフェルナンド・バレー(San Fernando Valley)は、当時勤めていたセンチュリー・シティ(Century City/Beverly Hills)、カルバーシティ(Culver City)からは結構な通勤距離がありました。
当時はクレジット(信用)がなかったので、頭金は家のバリューの50%でした。ローンを払っていけるのか一抹の不安を払拭し、気合いの15年ローンを強行。で、なんとか完済したのがR40の時でした。
かの、サブプラの不動産バブルの時などは、家のエクイティ(Equity)を嗅ぎつけて、甘い言葉で囁いてくるサブプラ不動産投資業者の勧誘もたくさんありました。
しかしながら、上の先輩日系1世Yさんの「そして、その家に長く住みなさい」の教訓を守り、後にサブプラ不動産投資の犠牲者になることもありませんでした。
北カリフォルニアのサンフランシスコのみならず、ここ南カリフォルニアも住宅は賃貸、売り物件に関わらず高騰し続けています。
築60年の超ぼろ家のうちも「マジかよ?!」と、思うくらい、年々マーケットバリュー(市場価値)が上がっています。
収入の40〜50%が住居費ってのが現状のここカリフォルニア。いつ会社をクビになるか分からないのは、アメリカでの宮仕えの常。
あくまでも私見ですが、住居費をいかにマネージ(最小限に)するかが、快適なカリフォルニアライフの「肝(キモ)」のように思えます。
お世話になった日系1世、Yご夫妻の「移民はベッドがあって、家族が一緒にいればオーライよ〜」の言葉が胸に沁みています。関連記事

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